感謝の気持ち
今、日本を訪れた外国の人達に喜ばれ お土産ナンバーワンは、抹茶の入ったお菓子だとか 私など全くお抹茶とは縁遠い存在ですが。
鎌倉の報国寺「竹寺」で、リーズナブルにいただけるお抹茶セット(和三盆のお菓子付き)竹越しに谷戸を眺める私の姿は、竹側から見れば滑稽なのだろうが とにかく心癒される気持ちになる。
最近では、近くのコンビニで 挽きたてのコーヒーが良く売れているようだが、日本人が挽きたてのコーヒーを戴き 外国の人達が抹茶を好むのは なんとも皮肉なことだ。
私もお気に入りの場所で、お気に入りの茶碗で、一人シャカシャカしょうかと思っている。
人が二人以上のなるとルールが出来る ひとの作ったルールでの遊びは、あまり好まないタイプなので 自分流お手前で一服することにする。
しかし この茶碗 片手では持てない、両手で救い上げる様に持つしかない。
そういえば、人からものを預かる時や頂く時、ご飯 味噌汁を頂く時 寒いときなど左手をこたつの中に入れて食べるのを母によく左手は?行儀が悪いとよく叱られた。
この両手を使うことは、ありがたく頂くと言う 感謝の気持ちの現れなのであろうか。
科捜研の男 スペシャル
この海上がりの壷、一応のくだりは「以前の持ち主は、四国の大骨董収集家で何やらとても大切にしていた一品」とか 同じ形のものを見た事がないとかで すぐさま気に入った。(まるで、なんでも鑑定団なみのくだり)
昨夜、2000年の別冊太陽骨董をたのしむー31の巻頭エッセイ(平澤輝雄)に
同一のものが載せられていて驚いた、平澤さんが記しているには、売主より「中国もの。元の軍隊が、中に火薬を入れて、敵に投じた武器。私が、東南アジアで、海から引き揚げた」。と書いてある。
平澤さんも調査中と書いてあった、今テレビで素敵な女性検察官が科学的に捜査して犯人を捕まえるというストーリーの番組が人気で 私も楽しみの一つだが、この海上がりの壷は私が調査するので、たぶん迷宮入りであろう。
氏素性より 暗く冷たい海の中から せっかく出会えたのだから、そして夢と愉しみを私に与えてくれたのだから
大切にしますよ 海上がりの壷さん。
いにしえのロマン
流れ落ちる鉄釉にゆびでかきとる手法、面白い! もちろん名など入っていない 気にいった!
昨日今日の陶芸家でも観光地の楽焼きでも名を入れると、言う 私も先日陶芸教室でへたな手捻りの作品?に名と言うかサインを入れて来たが、まあそれはそれでいいのだが、この思い切ったデザインに感動して
そして、その素性を調べるワクワク感! 一粒で二度美味しい時間 古き時代へのロマンの旅だ
濱田庄司先生は、自分で歩んで来た道を「京都で道を見つけ、英国で始まり、沖縄で学び、益子で育った」と述べていたと以前本にかいてあった事をおもいだしたり、とにかく心の中の探究心が広がるのです。
この作品は、どこのだれべいが、いつ、どこでと、実刑列に並べるのもいいですが 私は名を残さずに陶工の汗の形が残る作品に心奪われるのです。
余白の美しさ
以前、庭師が造園を任されて立派な石組みをして最高の庭が出来たと、長老に自慢げに話した、
その庭を見た長老は、目立つ石組みを一夜にして取り除いたとの話。
街を歩けば、赤や黄色の看板が目立ち若者の服装もカラフルで様々なデザインが個性豊かに行き交う
さながら現代のストリート舞踏会だ、自分が田舎者なので大半がやっかみなのだがとにかく都会は疲れる
なぜ、都会へ出ると疲れるのか自宅の風呂につかりながら考えると、それは たぶん私が自然と向き合えていないためだと思う。
川井玉堂先生は、白の色をより白く描く巨匠といわれている確かに降り積もる雪の白さ、雲の白さ すべての白さが微妙に違う様に感じるのは私だけだろうか
主役と脇役あってのストーリー もしかして 余白は主役なのかもしれない。
「柿右衛門 江戸時代」
ピーコに会えた
ピーコとは、私が小学生低学年の時に初めて飼ったスズメの雛の名前です。
当時屋根から落ちて来たスズメの雛を拾い上げ手に取るとその小さな足の爪で少し痛かった思い出がある。
ピーピー鳴くのでピーコと名付けた、牛乳をあたためスポイドで与えると喜んで飲んでいた。
学校から家に帰りピーコに会うのがたのしみで、走って帰って来た
あれほど元気に鳴いていたピーコが固くなって、死んでいた。
私が初めて生き物の死に直面して、愛するものとの別れの悲しさを知ることとなった。
先日、80代の母が、還暦もとっくに過ぎた私のことをみんなの前で、昔お前は
「ピーコが死んじゃたー」と、泣いてたねと 言われ少してれくさかった。
まあ泣き虫な私だから言われてもしかたないけれど、そんな50年以上前のピーコに再会できたのは
明治時代の金匠によるウズラの置物だが 私にはズズメのピーコに見えた またピーコに会えた
泣き虫な私は、常に愛する命あるものに対して、泣いて認めず逃げ出していた、もうそろそろ
死に対して、逃げずに向き合う時期なのかも知れない 物質や富の充足より心の充足の時代のようだ。