こまどり姉妹
年末になると色々と昔の芸能人が出てくる。懐かしいメンバーだ。
今回、こまどり姉妹が、過去のことを話していた、大変な苦労をした人達のようだ。
こまどり姉妹いわく、「私達は、けして歌が好きで歌っているのではなく、お金の為に歌っている」とのことをキッパリ話していた、素晴らしい意見だ、本物のプロだと感じた。
やはり、骨董の世界でも私のような貧乏数寄者では、大成しない。
ところで、仁丹ケースだが、大正時代のもの、旅行やちょとした出先で服用したものだろう。
こんなものを、数万円で買うようでは、プロの道は、遠い、だがプロであれば手元に置くことが出来ない。
「買いやすいものは、売りづらく、買いにくいものは、売りやすい」とは、骨董屋のおやじから教わった言葉だが、やはり先輩骨董屋のおやじは、貧乏数寄者に、買わせるプロだ。
ライオンダンス
小学生のころに、ダンス校長と呼ばれる校長先生がいて、朝の全体朝礼のあと決まってフォークダンスなのです、校長先生はコンタクトを振り、オクラハマミキサーなど、好きな子とのダンスはとてもワクワクして、いいものでした。
もう、お亡くなりになってると思いますが、改めて素晴らしい校長先生だったと思います。(個人的に)
フォークダンス中に、とある教師が笑っていると、ダンス校長と口論になったのを覚えています、たぶん お二人の教育観のへだたりでしょう。(まあ、私は好きな女の子と、手を繋いでいる方がいいのですがー)
さて、この獅子頭は、小型で だぶん伊豆の踊り子ではないですが、頭の上に載せたものでしょう。
幼い子供たちが、自分たちの住む父や母、おじいちゃん、おばあちゃん、村の人 皆に災いを防ぎ、喜びか訪れるように願い太鼓を叩き踊ったものでしょう。
なにか、そんな素朴な温かいものを感じることが出来るのは、フォークダンスでの人の手の温もりでしょうか‥‥
贈る
骨董の病いに侵され始めは、わずかな小遣いが貯まると、面白い骨董屋に顔を出すのが楽しみになる。
その店は、店構えは大きいのだが、中が狭い 二人入ったら交差できない、だから店主とマンツーマンなのだ、個人授業(骨董の)と、言っても過言ではない。
ただし学問的や考古学的知識などは、まったく得ることは出来ないのだ。
ただ、骨董好きの財布の紐を緩ませるのは、たぶんノーベル賞ものだろう。そんな部門があればの話だが。
まずは、店を訪れ「こんにちはー 見せてくださいー」と挨拶をする 店の奥からゴソゴソと物音がして、出てくると「よお 久しぶりだなー」と、くまさん、はっさんの落語家の乗り。
狭い店の中には以前と代わり映えしない風景、ただし店主の顔の後ろの茶箪笥が、少し開いている。
何か面白いもの入りましたか?と、尋ねると決まって、首を斜めに傾けて少したってから「ないなぁ」の一言。その店主の顔の後ろにある茶箪笥の半開になった中から何やら赤く光るものが、「あれ なんです?」と、尋ねると「よく見つけたなぁ 昨日入ったもので、蔵が七つある お大臣の家からでたもので あまりにかわいいので売るのを止めようと思っていたんだが、あんたなら安くだすよ」と、勧めるのだ。
骨董屋のおやじとの話はこのぐらいにして、赤色ガラスコンポート(大正〜昭和初期)は、当時は大変高価なものだったとおもいます、でも、先人は、とある人えの想いをこのコンポートにのせて贈ったのでは?
とある 人えの笑顔を想い‥‥‥ 。
春よこい
草津温泉へのルートは自分なりにストーリーがある まずは高速を降りて、少し進み左側にカンエツの工場を見るとそのまま直進 酒は人生のスパイスの看板に励まされ テレビでよく見たヤンバダム建設予定地 そばに河が流れているが釣り人の姿を今だかって見たことがない。 出て来た出て来た、もっこり山「本名まるやま」のお出迎え 素晴らし渓谷を過ぎると もうわずか 水車が目印の道の駅? 地元産の新鮮なものがそろう店に到着、ここでの買い物が草津温泉への喜び達成感の約50%を占める。
ここが面白いのは、色鮮やかに見える照明もなければ、大声をあげての呼び込みもなく、ただ平台にムカゴや水仙の種など 袋詰めで販売しているからだ。
藍九谷鶴頸徳利(前期伊万里)とてもモダンな柄で気に入っている。 先人もこの徳利の中に人生のスパイスを入れ友と語り合ったことだろう。
何年か前に水車の店で頂いた水仙の花のつぼみが力強く落葉をかき分けていた。
きっと、先人も早春に咲く水仙の姿を楽しみに春の訪れを願ったのであろう。
そこには、マムシが出るぞ
割れた壷や瓶、朽ちた臼、壊れた糸巻など店先に、やまと積み上げてある。
何か掘り出し物などあるのでは?と、ウロウロと散策していると、「 おい、そこにはマムシが出るぞ 」と、脅かされた。
私も20代だったので、骨董屋のおやじさんから「 この青二才買いもしないでウロウロするな帰れ 」と、言わんばかりだ。
それにしても今思うと、 マムシが出るぞとは面白い表現だ。
それでも、せっせと通うと 色々と親切にしてくれる、又、骨董品に対しても、あり得る訳のない話をまるで見て来たかのごとくに話す 語りは、へたな落語より面白く、説得力があるのだ。
そんな先輩方は、ほとんどいなくなり寂しいかぎりだが、とにかく個性的な先輩方多かった。
ところで、室町中期の古備前だが、やはり 大先輩としての威厳を感じずにはいられない。
私も、マムシが出るぞと、言ってみたくなってきた、今日このごろなのだ。